「技術力はあるのに、評価されない」。そう感じるエンジニアの多くに共通する課題が、事業への意識の欠如です。LAPRAS社が2025年に実施した「生成AI時代のITエンジニア『働き方』と『価値観』に関する意識調査」では、エンジニアの役割意識が「実装」から「事業・プロダクトへの貢献」へとシフトしている傾向が明らかになりました。技術の実装力だけでは差別化が難しくなった現在、ビジネス視点を持つエンジニアの希少性と市場価値は急速に上昇しています。
事業意識を持つエンジニアとは何か
事業意識とは、自分が書くコードや設計する仕組みが「誰のどんな課題を解決し、どのように収益に変わるのか」を常に考える姿勢です。単にプロダクトオーナーやビジネスサイドの指示を正確に実装することとは異なります。
技術的に最適な選択と事業的に最適な選択は、しばしば異なります。たとえば、最新のアーキテクチャを採用したい場面でも、チームの習熟度や納期を考慮して「枯れた技術」を選ぶ判断ができるかどうか。その判断基準の中に事業の状況を組み込めるかどうかが、事業意識の有無を分けます。
技術偏重と事業志向の思考パターンの違い
| 場面 | 技術偏重の思考 | 事業志向の思考 |
|---|---|---|
| 新機能の実装依頼を受けた | 技術的な実現方法から考え始める | その機能がKPIにどう影響するかを先に確認する |
| 技術的負債が見つかった | すぐにリファクタリングを提案する | 負債がビジネスに与えるリスク(障害頻度、開発速度低下)を数値で示してから優先度を議論する |
| フレームワークの選定 | 性能ベンチマークと技術的先進性で比較する | 採用市場での人材確保のしやすさ、学習コスト、長期的な保守性を含めて判断する |
| バグの報告を受けた | 再現手順を確認して修正に着手する | 影響を受けるユーザー数や売上への影響を把握し、対応の優先度を事業インパクトで決める |
| スプリントの計画 | 技術的な難易度で工数を見積もる | ビジネス上のデッドライン(営業キャンペーン開始日など)から逆算してスコープを調整する |
事業意識の自己診断:5つのチェック項目
自分がどの程度事業視点を持てているかを把握するための質問です。YESの数で現在地を確認してください。
- 自社プロダクトの主要KPI(売上、DAU、解約率など)を3つ以上、直近の数値と共に言えるか
- 直近1ヶ月で自分が実装した機能が、どのKPIにどう寄与するかを説明できるか
- 開発チーム以外のメンバー(営業、カスタマーサクセス、マーケティング)と週1回以上会話しているか
- 技術的な意思決定を行う際に、事業上のトレードオフ(コスト、リリース時期、ユーザー体験)を考慮しているか
- 自社のビジネスモデル(収益構造、顧客獲得コスト、LTV)を他者に説明できるか
0〜1個:技術特化型 — まず自社プロダクトのKPIを把握するところから始める段階です。
2〜3個:意識の芽生え段階 — 方向性は合っています。ビジネスサイドとの接点を意図的に増やすことで、理解が加速します。
4〜5個:事業志向エンジニア — 技術とビジネスの両面で判断できる状態です。次のステップはその知見をチーム全体に広げることです。
なぜ今、事業意識が求められるのか
生成AIによるコーディングの民主化
2025年以降、GitHub CopilotやClaude Codeに代表されるAIコーディングアシスタントの精度が飛躍的に向上しています。定型的なコード生成や既存パターンの適用はAIが担えるようになり、「コードを書ける」こと自体の希少性は低下しました。
LAPRAS社の同調査でも、エンジニアの役割意識が実装中心から事業貢献・プロダクト戦略へとシフトしている傾向が報告されています。エンジニア自身が、技術力だけでは差別化できない時代が来ていることを感じ取っています。
IT人材の需給ギャップと評価基準の変化
経済産業省が2019年に公表した「IT人材需給に関する調査」では、2030年時点で最大約79万人のIT人材が不足すると試算されています。企業は限られたエンジニアリソースから最大の事業成果を引き出す必要に迫られており、「技術力に加えて事業理解がある人材」の評価が相対的に高まっています。
パーソル総合研究所の調査によれば、ITエンジニアのキャリア不安の第1位は「自分の技術やスキルの陳腐化」で46.5%でした。技術スキルだけに依存するキャリアのリスクをエンジニア自身が認識しており、その解決策の一つが事業理解力の強化です。
ビジネス視点を日常業務で鍛える方法
ステップ1:自社プロダクトの収益構造を理解する
最初にやるべきことは、自社の「お金の流れ」を把握することです。
- 収益モデルを確認する(サブスクリプション、従量課金、広告、手数料など)
- 主要KPIを把握する(MRR、ARR、DAU、解約率、ARPU、CACなど)
- 顧客セグメントごとの収益構造を理解する(エンタープライズ vs SMB、新規 vs 既存)
社内のダッシュボード(Metabase、Looker、Redashなど)へのアクセス権がない場合は、上長に依頼してでも閲覧できるようにしてください。数値が見えなければ、事業意識は育ちません。
ステップ2:開発タスクを事業指標と紐づける
スプリントで担当するタスクに対して、以下の問いを習慣化します。
- この機能はどのKPIを改善するためのものか
- 改善の期待値はどの程度か(例:解約率を0.5%下げる、CVRを3%上げる)
- この開発をやらなかった場合、事業にどんな影響があるか
この問いに答えられない場合は、プロダクトマネージャーやビジネスサイドに確認するのが適切です。「仕様を聞く」のではなく「事業上の意図を聞く」意識が重要です。
ステップ3:ビジネスサイドとの定期的な接点を作る
技術的なスキルと同様に、事業理解もインプットの量に比例して深まります。
- 営業やCSの定例ミーティングに参加する:顧客が何に困っているのか、どんな要望が多いのかを一次情報として得られます
- 顧客の声を直接聞く機会を持つ:ユーザーインタビューや問い合わせ対応への同席は、プロダクトへの解像度を劇的に高めます
- 経営会議や全社ミーティングの議事録を読む:会社がどの方向に向かおうとしているのかを把握できます
ステップ4:技術的意思決定に事業観点を組み込む
設計レビューやアーキテクチャ選定の場で、技術的な良し悪しだけでなく、事業上の判断基準を加えます。
具体的には、技術選定のドキュメントに以下の項目を追加します。
- 事業上のリスク:この技術を採用した場合、人材採用やチーム教育にどんな影響があるか
- 市場投入速度への影響:新しい技術の学習コストが、直近のリリーススケジュールに与える遅延リスク
- 運用コスト:インフラ費用だけでなく、保守にかかる人的コストも含めた総所有コスト
ステップ5:事業貢献を定量的に振り返る
四半期ごとに、自分の開発成果がビジネス指標にどう影響したかを振り返ります。
- リリースした機能の利用率とKPI変動を確認する
- 削減した障害対応時間を機会コストに換算する
- パフォーマンス改善がコンバージョン率にどう影響したかを数値で把握する
この振り返りを続けることで、次のスプリントで「何を優先すべきか」の判断精度が上がります。同時に、評価面談で自分の成果を事業インパクトで語れるようになります。
事業意識が高いエンジニアのキャリアパス
事業視点を持つエンジニアには、技術一本のキャリアとは異なる選択肢が広がります。
| キャリアパス | 特徴 | 求められる事業理解の深さ |
|---|---|---|
| テックリード | 技術選定の最終判断者。事業上のトレードオフを理解した上での技術的な意思決定が求められる | 中〜高 |
| エンジニアリングマネージャー | チームの生産性最大化が役割。採用・育成戦略を事業計画と紐づける必要がある | 高 |
| プロダクトエンジニア | 企画から実装まで一気通貫で担当。ユーザー課題の特定からソリューション設計まで行う | 非常に高 |
| VPoE / CTO | 技術戦略と事業戦略の融合が職務。取締役会での技術投資の説明責任を持つ場合もある | 最高 |
| テクニカルプロダクトマネージャー | エンジニアの専門性を武器にプロダクト全体の方向性を決める | 非常に高 |
どのパスを選ぶにしても、事業意識は「あれば有利」ではなく「ないと選択肢が狭まる」要素です。特に生成AI時代では、純粋な技術実装力の市場価値は相対的に低下していくため、事業理解は自分のキャリアを守る保険としても機能します。
陥りやすい失敗パターン
技術を軽視するわけではない
事業意識の重要性を語ると、「技術力は不要なのか」という反論が出ることがあります。そうではありません。事業意識は技術力の上に積み上げるものであり、代替するものではありません。技術的な基盤がなければ、事業上の判断に技術的な裏付けを持たせられず、結局は信頼されません。
「御用聞き」にならない
ビジネスサイドの要望をそのまま実装に落とし込むことは、事業意識ではありません。要望の背景にある課題を理解し、技術的な観点からより良い解決策を提案できることが、事業視点を持つエンジニアの本来の強みです。
短期の数値だけを追わない
売上やKPIの数値改善に貢献することは重要ですが、それだけに最適化すると技術的負債が蓄積し、中長期的にプロダクトの成長を阻害します。「今期のKPIを達成するための短期施策」と「来年のプロダクト競争力を維持するための技術投資」のバランスを取る視点が求められます。
よくある疑問
事業意識は経験年数に比例しますか?
必ずしもそうではありません。経験年数が長くても技術領域にのみ関心が集中している場合、事業理解は深まりません。逆に、入社2〜3年目でもプロダクトの数値に関心を持ち、ビジネスサイドとの対話を重ねているエンジニアは事業視点を持っています。重要なのは経験年数ではなく、意図的に事業情報に触れる習慣があるかどうかです。
受託開発でも事業意識は必要ですか?
必要です。受託開発であっても、クライアントの事業目標を理解した上で技術提案を行えるエンジニアは重宝されます。「要件通りに作りました」と「この要件だとビジネス上のリスクがあるので、代替案を提示します」では、クライアントからの信頼度が大きく異なります。
ビジネス用語がわからない場合はどうすればよいですか?
最初からすべてを理解する必要はありません。まずは自社プロダクトに関連する指標(MRR、解約率、CAC、LTVなど)を5つ程度覚え、その意味と自分の業務との関係を理解するところから始めてください。わからない用語が出てきたら、その場で質問することが最も効率的です。
まとめ
エンジニアの事業意識とは、技術的な判断に事業上の文脈を組み込む能力です。生成AIがコーディングの一部を代替する時代において、この能力の重要性は年々増しています。
まずは自己診断チェックリストで現在地を確認し、自社のKPIを把握することから始めてください。日常業務で「この実装は事業にどう影響するか」を問い続けることで、事業意識は着実に身についていきます。技術力と事業理解の両輪を備えたエンジニアは、どんな組織においても替えの利かない存在になれます。